何かの間違いではないかというのが、最初に思ったことでした。
最近は連絡を取ることも少なく、近況を知っているわけではありませんが、命に関わるような病気を患っているような話は聞いていなかったからです。
今月の詰パラにも作品が掲載されており、今年も「便りの無いのは良い便り」になるだろうと考えていたのです。
私にとって角建逸氏は「詰将棋界への導き手」です。
大学に入るまで、私は創作は基本的に一人で行っていて、会合に参加したり、他の詰棋人と会うということはありませんでした。
別に交流を拒んでいたわけではありません。
そもそも詰将棋で誰かと交流するという概念そのものがなかったのです。
それが変わったのは、大学の将棋部で角氏に出会ってからです。
氏は西へ東へ精力的に飛び回り、各地の詰棋人と交流していました。
私も氏に連れられて詰朗会に参加しました。
それまでは、近代将棋誌上で名称だけ知っていた会合です。
図や文章だけからは伝わらない、強烈な刺激がそこにはありました。
それ以外でも、名前だけしか知らなかった多くの詰棋人と顔を合わせる機会を氏からいただきました。
「詰将棋」だけ知っていた高校生が、大学生になって「詰将棋界」に触れた。
作る詰将棋の内容も変わって行った。
その導き手が角建逸氏だったのです。
新作を作ったとき、最初にそれを見せ、感想を貰う相手が角建逸氏であることも多々ありました。
「ミクロコスモス」を作ったとき、最初に個人的なお披露目をした相手も角氏でした。
手順は会合で会ったときに説明するつもりで、手紙で図面と最小限の説明だけ書いたのですが、当日は大雪のため電車もバスも止まり、私は会合の場所に辿り着けませんでした。
結局、作意を説明する機会を得たのは春休み明け。
そのとき手数の数え間違いを指摘された時には、さすがと思うと同時に、自分の間抜けさを露呈したようで、少し恥ずかしかったという記憶があります。(今となっては良い思い出ですが…)
社会人になってからは会う頻度も少なくなりましたが、作品集「饗宴」への参加、相馬康幸氏結婚祝賀詰、山村浩太郎氏結婚祝賀曲詰、「詰将棋探検隊」での「ミクロコスモス」改良図発表、将棋世界付録「ミクロコスモスの世界」への寄稿など、氏が主催する企画に参加する機会は多くありました。詰将棋を続ける限り、何らかの形で縁は必ず繋がっています。
添川公司氏「新桃花源」の結果稿(詰将棋パラダイス,2006年12月)には、「記念座談会」として大学時代に集った仲間で詰将棋について語り合った「同窓会」のような原稿が添えられています。
座談会は相馬康幸氏による次の言葉で締めくくられます。
相馬 ー では、20年後も4人揃って会いましょうということで。
一同 ー 賛成
約束の年である2026年に、この4人が揃うことはありません。
いまはただ、そのことを淋しく思います。